インフルエンザの労務管理②休業中の賃金
目次
前回の続きです。出勤停止命令を下し自宅待機を要請した場合、自宅待機中の賃金をどうすべきかなど、まだまだ問題はあります。
(前回記事)
出勤停止命令期間の給与
賃金全額を支払う必要があるか?
出勤停止自体が適法であっても、ただちに無給になるわけではありません。
裁判例において、民法536条第2項によって判断しています。
民法第536条第2項
債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債務者は、反対給付を受ける権利を失わない。この場合において、自己の債務を免れたことによって利益を得たときは、これを債権者に償還しなければならない。
すなわち、会社(債権者)に「責めに帰すべき事由」がある場合には、賃金債権(反対給付を受ける権利)を失わないと解することになります。つまり、民法第536条第2項にいう「責めに帰すべき事由」がある場合には、賃金全額を請求できることになります。
「責めに帰すべき事由」とは、一般的には過失を意味することになりますが、厳密に言えば体調不良は労働者側の事情であり、また、使用者側でコントロールできる類のものではないので、賃金全額を支払わなければならないケースは少ないでしょう。ただし、会社が自らの判断で出勤停止を命ずるのはリスクが高く、専門家の判断を仰ぐことを怠った等を理由として賃金全額の請求を認めた裁判例もあるため、産業医の意見を求める、診断書の提出を要求するなど、医師の判断を仰ぎながら判断した方が良いでしょう。
本人ではなく家族がインフルエンザに罹ったにすぎない場合は、本人に症状が無ければ職務を継続できることもあり、本人が実際に罹患した場合以上に慎重な対応が求められます。賃金全額が認められるケースがより高まるとも言えますので、マスクの着用を義務付ける、他の従業員との接触を防止する、場合によっては在宅勤務を検討するなどされた方が良いでしょう。
休業手当を支払う必要はあるか?
労働基準法第26条
使用者の責に帰すべき事由による休業の場合においては、使用者は、休業期間中当該労働者に、その平均賃金の百分の六十以上の手当を支払わなければならない。
労働基準法にはこのような条文があります。「休業手当」と呼ばれるものですが、民法第536条第2項と異なり、天災等の不可抗力や、従業員側に責任がある場合等を除いて、平均賃金の6割の支払義務があるとされています。いわゆる最低保証として、平均賃金の6割は原則として支給しようという理念に基づいています。よくある例は「仕事がない場合には事業場自体を閉鎖する」など、経営上の理由で休業する場合です。
厚生労働省の見解によれば
- 労働者が新型インフルエンザに感染したため休業させる場合
医師等による指導により労働者が休業する場合は、一般的には休業手当を支払う必要はないが、医師による指導等の範囲を超えて(外出自粛期間経過後など)休業させる場合には、一般的に休業手当を支払う必要がある。 - 労働者に発熱などの症状があるため休業させる場合
熱が37度以上あることなど一定の症状があることのみをもって一律に労働者を休ませる措置を取る場合のように、使用者の自主的な判断で休業させる場合には、一般的に休業手当を支払う必要がある。 - 感染者と近くで仕事をしていた労働者や同居する家族が感染した労働者を休業させる場合
職務の継続が可能である労働者について、使用者の自主判断で休業させる場合には、一般的に休業手当を支払う必要がある。大規模な集団感染が疑われるケースなどで保健所等の指導により休業させる場合については、一般的には休業手当を支払う必要はない。
とされています。すなわち、医師や保健所の判断によって出勤停止を行なう分には、休業手当の支払は不要となる可能性が高いが、そうでない場合や、単に熱があるというだけの場合には、休業手当の支払が必要になるという見解だと思われます。
休業手当についての私見
ただ一方で、「インフルエンザ等が流行して大量の従業員が連日休んでいる」といった状況を想定すれば、厚生労働省の考え方は、いささか杓子定規な解釈ではないかと私自身は考えております。会社側もかなり神経をすり減らして対応しているのではないかとも思いますし、社内での流行を防ぐために出勤停止命令を出している部分もあるでしょう。医師による診察等が必要になるとすれば、病院に行かないで会社に来ようとする従業員に対し「お金を払って休んでもらう」という事態にもなりかねません。体調不良時の出勤自体を医師の診断書を条件にすることは、一理あるかもしれません。その上で、診断書をとってこないのであれば、出勤停止命令を出さざるを得ない場合もあるのではないでしょうか。
少なくとも私傷病(業務に起因しない怪我や病気)について、その原因自体は従業員側の責めに帰すべき事情とも言える部分はあります。少なくとも会社側で支配のしようがないものであり、不可抗力だと考える余地はあるでしょう。にもかかわらず休業手当の支払が必要であるとすると、無理に会社に出勤しようとして出勤停止命令を受けた方が、大事をとって自主的に休んだ従業員よりも優位に扱われる(休業手当をもらえる)ことになってしまいます。事実インフルエンザであるにもかかわらず、会社から求められた診断書の提出を拒否したり、インフルエンザの診断を秘して出勤する等の場合、懲戒処分としての出勤停止命令という法的論理も、一つありうるかもしれません。もちろん、病気かどうか微妙な従業員を懲戒処分にするのは問題なので、その見極め自体は難しい場合もあるかもしれませんが、少なくとも就業規則を整備すれば、トラブルを減らせるでしょう。
病気やケガによる休業については、健康保険による傷病手当金の対象になりうる(前回記事参照)ことからすれば、本来的には休業手当の支払は不要ではないかと私自身は考えています。仮に休業手当の支払義務があるのであれば、傷病手当金の対象にする必要性にも疑問が出てきますし、逆に、傷病手当金制度があるのであれば、それで足りると法は考えているということもできます。
もちろん、従業員側の立場であれば、厚生労働省の見解や裁判例に基づいて賃金全額や少なくとも休業手当を支払えと主張します。一方で、会社側の立場であれば、厚生労働省の見解には何ら法的拘束力は無いため、厚生労働省がそう言っているからといって思考を止めるのではなく、裁判所を説得する材料を見つけるのが弁護士の務めです。裁判例も、あくまで裁判官の個人的見解にすぎません。
結局、立場によって意見を変えるカメレオンのような考え方が弁護士の職務の根幹にあるのです。正義の味方ではなく依頼者の代理人、悪い言い方をすればその程度の役割と言うこともできます。自分で言っていて少し寂しいですが、一本芯の通った考え方が重要なのではなく、一つの事象に対してどのような切り口があるのかを多角的に検討できるのが優秀な弁護士像なのだろうと、皆様にはお伝えしたかったので少し書いてみました。
無理に出勤してインフルエンザが蔓延するようであれば、会社にとっては踏んだり蹴ったりになります。特に現場においてはかなり悩ましい問題となっており、そのような相談を受けることも多々あります。とあーだこーだ書きましたが、裁判例や厚生労働省の解釈があるということは、それを前提として行動した方が無難なのは間違いありません。こういったケースに備えて、就業規則等に手続や扱い方を定めておくことで無用なトラブルを避けられるケースもありますので、コンプライアンス、そして福利厚生の一環として、病気休暇制度の設計を考えるのも一考だと考えています。
会社側で一方的に有給処理していいの?
有給の取得は労働者の権利であるため、会社が一方的に有給をとらせることはできません。(1/16記事参照)したがって、病欠の場合等に自動的に有給処理をすることは違法となります。
一方、従業員の方から事後的に有給処理をしてほしいとお願いされるケースもよくあるでしょう。もっとも有給とは、本来は暦日ごとにとる建前となっているため、その日の朝に有給を申請するのは事後申請になります。したがって、法律的には会社側は拒否できます。とはいうものの、日本では突発的な体調不良や用事のためにある程度の有給を残しておくという文化があり、法律を形式的に適用しようとすれば従業員からの不満が出ることは必至です。
この点についても、病気休暇制度や病気にかかった場合についての有給申請についての制度を整備しておくことによって、スムーズな労務管理ができる場合が多いでしょう。
他の従業員がインフルエンザで出勤してきて移された従業員は何か請求出来る?
おそらくこの場合は、会社・当該従業員いずれに対しても請求自体が困難ではないかと考えています。インフルエンザを移されて休業補償を請求できるとなると、極論を言えば、会社の外で誰かに風邪を移されて仕事に行けなくなった場合でも休業補償をしなければならないという事態に発展しかねません。職場であろうが、電車や飲食店の中であろうが、インフルエンザを移されたことにより仕事ができなくなるのは一緒だからです。
職場の人間から移された場合には請求できると仮定した場合であっても、誰によって移されたかを特定することはまず不可能です。インフルエンザのような強力な感染力があり、世間的に蔓延している場合には、その人としか接触する機会がないとか、その人しかインフルエンザにかかっている人がいないとか、そこまで特定する必要が出てくるでしょう。
例えば食中毒の場合には、病原菌が店内から検出され、そこのお店で食べた人の大半が罹ったというのであればその店が原因だろうと言えますが、それでも立証のハードルは高いと言われています。
インフルエンザの場合、電車の隣にいた人など、すれ違った人が罹患している可能性もあり、接触した人間の誰が罹患しているか判別しづらいです。また、潜伏期間もあり、症状が引いた後もしばらく菌が残っている可能性もあるので、健常に見えてもインフルエンザにかかっていないと断言できるわけではありません。そして、この菌はこの人のだと判別できるわけではないことから、やはり難しいように思われます。
ただ、請求困難だとしても、会社は適宜出勤停止命令や早退命令を出したりすることで、インフルエンザの蔓延を防止できる立場にあります。従業員に「もしかしたら移されるかもしれない」という不安感を与えたことには変わりありませんし、会社側には一種の健康配慮義務が課せられていると考えられていることから、適切に命令を出し従業員の健康にできる限り配慮した方が良いでしょう。
例えばもし、「インフルエンザに罹患した者の出勤を認めるならスタッフ全員休みます」と対抗措置を取られたり、無用な請求や裁判を起こされたりすれば、それだけで会社側にとっては負担でしょう。繰り返しにはなりますが、この意味でも病気休暇制度等を充実させることが、紛争を予防する有効な方策の一つと言えます。
会社制度設計の重要性
このようにインフルエンザ一つをとってみても、様々な法的問題を孕んでいることはお分かりいただけたと思います。会社の制度を整備することで、スムーズな会社運営が可能になるケースも多く、会社制度の設計は早ければ早いに越したことはありません。(問題が起きてからでは遅いのは、他の問題と同じです)ぜひこの機会に、制度の整備をご検討されてみてはいかがでしょう。